天声新語より抜粋「人と打つのでなく神と打つような心掛けで」

お客様から新聞記事の差し入れをいただきました。

これを読んで「囲碁サロンの経営をまだまだ頑張って下さいよ」と言っていただいている気がして、この記事をブログ読者の皆様と共有したいと思います。

天声新語より抜粋

「後期高齢者の年齢が近づいてくると、昔の友人、同僚たちとの交流が薄らぎ、その孤独感

 を払拭してくれるのが趣味。私の場合囲碁。

 碁会所に行くと、色々な人に出会えて面白い。だが、不愉快な思いをする人とは、席料を

 払ってまで打ちたくないのが本音である。ルールやエチケットを無視する人。煙草を吸う

 人。やたら勝ちたがる人。落ち着きがなく、おしゃべりな人。そんな人との私との対戦成

 積はきわめて悪い。  何故か。その原因は私が『人』を相手に碁を打っているからだ、

 と。そうではなく、私は『神』と打つように心掛けねばならないのだ。

 私の目の前にいる相手は、囲碁をつかさどる全知全能の神が色々な人間に身を変えて、私

 の技量や人間性を試しに来ているのだ。  

 そう思うと、私は自分の打つ手に最善を尽くせばそれでよく、今までは嫌らしかった相手

 にも好感がわいてきた。そして、良い相手とは、一層親しく付き合えるようになった。

 今日も、どんな相手と手段(囲碁を打つこと)ができるだろう、と胸を弾ませながら碁会

 所に向かう。『よくも飽きずにご熱心なこと』と笑う女房を背にして。

 友人とは、できるのではなく、つくるものだ。と、この年になって改めて囲碁から教えら

 れた」

  このお客様の境地になってもらえるよう、席主の技量裁量の努力が必要とも言えるのだろう。

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コメント: 2
  • #1

    kevin55 (木曜日, 31 12月 2015 23:28)

    「天声人語」ならぬ「天声新語」に感動しました。
    「石心」の輝かしい新年を祈念しております。

  • #2

    石心 (金曜日, 01 1月 2016 02:39)

    私もこの天声新語の記事からは、対局だけではない日常において、冷静かつ平常心の大切さを心掛けるための警鐘と思いました。私と同じく感動していただきまして、とてもうれしいです。いつものコメントありがとうございました。